成年後見の現場① 聴覚障害×ごみ屋敷

成年後見制度

今回は、私が市役所職員時代に、成年後見市長申立をした方のケースについて、お話します。

Tさん

2018(平成30)年の春ころのお話です。

当時74才の男性、障害者手帳(聴覚障害2級)、要介護2のTさんという方がいました。

じん臓が悪くて、透析寸前でしたが、ご本人にその自覚はありませんでした。

療育手帳はありませんでしたが、もし医師の診察を受けていれば、おそらく知的障害の診断も出た方だと思います。手帳を持っていないだけで、障害を抱えて生活をしている方は、たくさんいらっしゃいます。

理解力・判断力にとぼしいこともあってか、ごみの分別ができずに、ご自宅はごみ屋敷状態でした。

金銭管理もまったくできず、障害年金が入れば、すぐにバスでパチンコ屋に行ってしまい、次の支給日までの食べものに困る生活をしていました。

きっかけ ~ 支援

Tさんを支援するようになったきっかけは、地域の民生委員さんからの情報提供でした。

民生委員さんは地域のことをよくご存じですので、生活が心配な人についての情報を市役所に伝えてくれることがあります。

民生委員さんからの相談を受けて、初めは保健師さんと一緒に訪問してみるも、Tさんは玄関の奥の部屋の障子のすきまからのぞいているだけ。居留守を使われてしまい、会ってもらうことすらできませんでした。そこで、仕方なく置き手紙をして帰る、ということを何度も繰り返していました。

そんなことがしばらく続いていましたが、何度も訪問しているうちに、ようやく「こいつは、敵ではないな」と思ってくれたのか、普通に会ってくれるようになりました。

ここまで、長かったー。 2~3か月くらいは、かかったような気がします。

福祉の現場 あるある

ようやく、訪問したら居留守を使わずに普通に会ってくれるようになり「市役所からの手紙は来てない?」「生活で心配なことはない?」などのやり取りを続けていました。

そんなある日、約束の時間に訪問しましたが、なかなかTさんが出てこないことがありました。「出かけちゃったのかな。今日は、帰ろうか」としたところ、急に玄関にパンツ一丁の姿のTさんが、飛び出してきました。「どうしたの、Tさん!」と、さすがにビックリしましたね。

恐らく、家でおフロかトイレに入っていたけど、帰ろうとする私を見つけて慌てて呼び止めようとしたのでしょうね。生来の聴覚障害の方の場合、発声が出来ずに大声で呼び止めることができないため、全身を使ってリアクションで「行かないで!」とアピールしてきたわけです。いや、ホント、ビックリしました。

予想もしていないことが、時々、起こるのも「福祉の現場 あるある」ですねぇ。予定どおりに行かないことを楽しめるような、ほどほど適当な人でないと、なかなか大変かもしれません 笑。

そんなこともあったので、耳が聞こえない人向けの、玄関でスイッチを押すと、部屋の中でランプが光って視覚的にお知らせしてくれる「呼び出しフラッシュ」をなるべく安く買おうと、いろいろ調べたりしたこともありました。

市の助成金を利用しようとしましたが、なにかとめんどうくさくて、結局スーパーセンターで買いました。その方が安くて早かったからです。

税金を使うのだから、証拠書類や正しい手順を踏まないといけないのは、元公務員としては、十分わかっているつもりです。でも「困っている人がすぐに使える仕組みじゃなければ、あまり意味ないよなぁ」と思ったりします。これも「福祉の現場 あるある」でしょうか。

Tさんはまったく耳が聞こえませんが、文字は読み書きできますので、FAXでやりとりをしたいな、と考えたこともありました。しかし、本人いわく「電話線がねずみにかじられて、電話が使えない」とか何とか言い訳して、結局、最後まで本人が納得されず、FAXを入れることはできませんでした。

障害者の方は、やたらこだわりが強くて、すなおに支援が入らない時もあり、えらい苦労します。

そうです、これも「福祉の現場 あるある」です。

ですので、Tさんとの通信手段は、主に「貼り紙」でした。まず、訪問予定の数日前に「○日の○時に来ます」と玄関先に貼り紙をします。それから、約束の当日に会って用事を済ませる、ということを何度も何度も繰り返していました。

お試しで…

Tさんの家は、ごみ屋敷と化していたため、生活環境が悪いということで市営住宅への入居や在宅介護サービスなど、様々なことを検討しました。ただ、当時の本人からは「家から離れたくないし、家には誰もいれたくない」などの強い拒否がありました。

支援者の間でいろいろと作戦会議をした結果、そのころは、秋から冬になる時期でしたので、「お試しで、1か月に1回くらい、施設に行って暖かいところでおいしいご飯を食べて、お風呂に入って温まってサッパリしない?」と、提案することにしました。

何とかかんとか本人の了承を得て、お試しで施設に行くようになりましたが、初めのころは、渋々といった感じでしたね。

しかし、何回か通うと「次はいつ行くのか?」と本人から聞いてくるようになりました。どうやらお気に召した様子。

その時は、支援者一同、目を合わせて「よしっ!」って感じでしたね。

そして申立へ…

そんなこんなを繰り返して、ようやく信頼関係が築けたころに、成年後見制度のことを説明したところ、本人「いいよ」と意外にもあっさりOKしてくれました。

そこで誰が申立人になるか、ということでTさんの親族をあたったところ、市内にいとこさんがご存命でした。親族がご存命の時は、まずは親族の協力が得られないか確認をします。ですが、いとこさん自身も高齢のために支援が難しいとのことで、やむなく市長申立ということになり、私が様々な書類の準備を手掛けました。

親族などがすでに高齢のために、積極的な支援ができないというのも「福祉の現場 あるある」です。本当にそういうケースが増えています。

家裁面談

家庭裁判所に成年後見の申立をすると、1か月後くらいに調査官による面談があります。

裁判所に行くことが難しい場合は、本人の自宅まで調査官が出向いてくれます。「でも、面談の場所がごみ屋敷というのも厳しいな」と思いましたので、施設利用の時に日程調整して、施設で面談、ということにしました。

裁判所と聞くと、どうしてもお堅いイメージ(市役所も似たようなものですかね)でしたが、Tさんの時の調査官さんは「聴覚障害の方の調査面談は初めてだったので、あらかじめ筆談用に文書を作って用意してきました」「今回は本当にいろいろと勉強になりました」とおっしゃってくださるような方でした。

「こんなに親身になってやってくれる方もいるのだなぁ」と、うれしく感じたことを、今でも覚えています。

その後、無事に成年後見(類型は保佐)が決まって、一安心。

以上が、2018(平成30)年の春ころから2019(令和元)年の秋ころまでのお話です。

保佐人さんの尽力によって、2019(令和元)年の暮れには、Tさんは、隣りまちの介護老人保健施設に入所することができました。

後日談

実は最近(2023(令和5)年2月ころ)、Tさんとは別の方の支援のために、その施設におじゃまする機会があり、そこの職員さんに「実は、以前Tさんという方の支援をしていまして」という話をしたら、「Tさんでしたら、今も元気に過ごされていますよ」「時々、家にあったDVDを観たいなどのお話もされることがありますね」とのことでした。

その時は残念ながら本人との面会はできなかったのですが、ちゃんとした生活環境で食事も医療も適切に受けられれば、じん臓の機能が回復することはなくても、状態をなるべく維持して暮らしていけることがわかりました。Tさんは、もう80才近くになっているハズですが、職員さんの話から当時と変わっていない様子がうかがえたので、元気に暮らしていて本当に良かった、と思いました。

結び

Tさんは、私が福祉を担当し始めて間もないころの出会いでしたし、本当にさまざまな事件があり、本当にたくさんの人と協力しながら支援した方なので、とても印象深く覚えています。

結構な苦労をしましたので、その分「これから多少大変なケースに出あっても、何とかなるかな」という自信にもなった経験でした。

今回も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました~。

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