「成年後見制度の見直しについて」への一意見

成年後見制度

現行の成年後見制度は、様々な問題点が指摘されています。

成年後見をお仕事にしている者にとっては、とても気になるテーマです。

今回は、国において検討されている最中の「成年後見制度の見直しについて」

その概要と個人的な意見を述べてみます。

見直しの概要

私なりに、かいつまんで概要を説明すると

・ 後見人は一度決まったら変えられない → 別の人に変更できるようする。

・ 相続などの課題を解決したいだけ → 課題が解決したら解除できるようにする。

などが検討されているようです。

詳細は、下記の参考リンクをご覧ください。

ただし、無理に読まなくてもお時間のある方のみでw

成年後見制度の現状 (2023(令和5)年5月 厚生労働省 全55ページ)

成年後見制度の見直しについて (2024(令和6)年1月 法務省 全6ページ)

「成年後見制度」利用しやすく見直し検討へ  (2024(令和6)年2月13日 NHKニュース)

理念は何のために…

私としては「そもそも、成年後見制度の【理念】をないがしろにしているから、今世間で言われているような問題が起こるんじゃない?」と思ってしまいます。

では、成年後見制度の理念とは、なんでしょうか?

「本人の意思や自己決定権の尊重」 「残存能力の活用」 「ノーマライゼーション」 です。

出ました、また意味のよくわからない横文字 「ノーマライゼーション」

→ 障害のある方も家庭や地域で通常の生活をすることができる社会を目指すことです。

2016(平成28)年ころから使われ始めた言葉の「共生社会」と同様の意味ですね。

→ 十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会。誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会、のことです。

絵にかいた餅のような理念かもしれませんが、理念がないと目指すべき姿が見えてきません。

そして、今現在、できていないことだからこそ、理念として掲げることで、少しでもその目標に向かって進むことができます。そうやって、今の社会が築かれてきたのではないでしょうか。

少し脱線するかもしれませんが、私は公務員時代に感じていた、もどかしさのようなものを思い出しました。

「本当はみんなが関係ある大事なことなのに、なぜか世の中の99%の人は大事だと思っていない」ような、モヤモヤ感です。

「理念なんて立派な事を掲げたって、意味ないでしょ?」と思う時もあれば「ほんと、個人の意見の違いや価値観の違いってやつは、埋まりようのないものだなぁ」と感じたりしながら、お仕事をしていました。

ですから、今回の私の意見もサラッと聞き流してもらえば十分だと思っています。

共感してくださる方は「自分にとって身近な問題だ」と考えているということですし、何も思わなかったり、賛成できないよという方は「自分にとって関係ない問題だ」と思っている可能性があります。

ただそれだけのことですし、他人の考え方や価値観を変えようとするのはそもそもムリです。

でも、何かの気づきのきっかけとなる「種まき」ならできるかもしれません。

今、元気な20代の人も50年後に70才を過ぎるころには認知症になる可能性が高いです。

「ずっと20代のままでいられたら良いのに」とは誰しもが思うかもしれませんけど。

職場環境や人間関係が原因で、心に不調をきたす人も増えていることでしょう。

「ずっと人間関係が良好な職場であったら良いのに」とは誰しも(以下、略)

認知症の人も障害のある人も暮らしやすい社会になれば、健常者の方はもっと暮らしやすくなるかもしれませんし、万が一、自分が認知症を患ったり、障害を負ったりした時に暮らしやすくなっているハズなのです。

だから「後見は、自分には無関係とは言い切れない、みんなの(社会全体の)問題である」と私は思っています。

そして「やっぱり、そもそもの理念ってやつが、なんだかんだ大事だよね」と考えています。

私が大切にしていること

とあるライオンが、とある動画で話していたことですが、夫婦・親子・兄弟姉妹関係といえども金銭管理や家計管理の話し合いをする際は「感情を無視したプランは、絶対にうまくいきません」と言っていました。

【超キホン】親の預金口座が凍結されて「生活費・介護費が引き出せない!」に備えてできること5選【守る編】:(アニメ動画)第368回 (この動画の最後のまとめ、25:48あたりです)

私もそう思います。

理解力・判断力が衰えているとはいえ「利用者さんと一人の人間として向き合い、相手の考えや意見も尊重しながらでないと、後見人はできない」ということを、日々、実感しているからです。

私が支援している方は、ほとんどが高齢独居世帯で、財産や預貯金がほとんどなく、頼れる親族もいません。親族がいたとしても遠方で疎遠だったりします。

公務員時代に「そんな大変な人が増えているな」という実感から「お金にあまり余裕がなくて、支援が必要な人」を支援したいと思って、独立・開業しました。

「相手は人間、コミュニケーションが何より大切」と思いながらお仕事をしています。

三方良し

私が支援している方のほとんどは、もともとお金が少ないです。

ですので、普段からお仕事をするうえで気を付けていることとして、

① 【ご本人を大切に】 ご本人にとって本当に必要な支援であること かつ ご本人の理解力が乏しいことが前提となるので、なるべくわかりやすく、かみ砕いて簡単な言葉を使って十分に説明をしてから支援をすること。 

② 【周りの人を大切に】 周りの親族や支援者、サービス提供者とも情報共有をして、協力関係を築くこと かつ 第三者から説明を求められた時に提示できる客観的な資料を保管・整理しておくこと。

③ 【自分を大切に】 報酬は、自分の知識と経験と時間を使って支援をするため、世間の相場からみて妥当な金額 かつ 自分がお仕事を続けて生活していけるだけの適正な報酬をいただけること。そのうえで、ご本人の資産が少ない場合は「後見制度利用支援事業」など公的な助成や補助金などを使って、なるべくご本人の負担を少なくすること。

これらのことを常に自分に問いかけながら仕事をしています。

「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方良し ってやつですね。

本音、ぶっちゃけますね

楽な仕事ではない割に、月額報酬が最低2万円で、しかも報酬がもらえるのは就任してから1年後、という点がしんどいっちゃしんどいです。

「支援対象者をお金で考えるなんて」って厳しいご指摘やお叱りの声も飛んできそうですが、5人支援して月10万、10人支援してようやく月20万円になります。

恐らくですが、限度となる支援人数の目安としては15人~20人くらいではないでしょうか。

がんばれば20人以上できるとは思いますが、個人の能力や考え方、価値観によって変わります。

ただ、20人以上となると、一人ひとりに対しての仕事がおろそかになってしまったり、万が一の突発的な事案が複数の人で同時に重なってしまった時の対応が難しくなってしまう恐れがあるかな、と思う水準だと考えられます。

就任直後の通帳整理、施設探しと入所手続きが必要な時、相続の手続きが出てきた時などは、まぁまぁ大変です。

年金収入の範囲で生活できるようにムダな支出を減らして収支を黒字化して、ご本人の生活を安定させることにも苦心します。

しかし、ご本人と話し合いながら、家計を見直して、一度、安定さえしてしまえば、自分の負担が劇的に減るのも事実です。

要は、やり方と工夫次第なのです。「自分一人で抱え込まず、上手に共有しながら、周りと協力する」ことにより、自分が大変になるかならないかを、ある程度コントロールできる、と考えながらお仕事をしています。

今日も、精進します(決意)。

空想ですが…

非現実的な空想ですが、もしも、

① 後見制度が広く社会に理解されて、自分で後見人をやってみようと言う人(市民後見人)が増えて、たくさんの個人や法人が後見人の候補者として存在する社会になれば → 利用者が制度を利用しやすくなり、後見人の候補者を選べる選択肢が増える。

② 適切な支援をしている後見人には適正な報酬が認められるようになれば → 自分で後見人をやってみようと言う人がさらに増えて、制度の利用のしやすさに好循環が生まれる。

③ 後見をしている個人や法人の評価が見える可されるようになれば、実際の利用者による「個々の後見人の良し悪し」「自分に合う合わない」がわかるようになる → この人を候補者にしたいと希望できて、評価のよくない後見人は選ばれないようになっていく。

評価のよい後見人に依頼が増えてすぐにいっぱいになってしまうことも想定されますが、新規参入が増えることにより、評価のよい後見人が社会全体で増えていくことが望ましいと思います。

「もしも」こうなれば、とても利用者に優しい便利な制度になるのになぁ、と個人的に考える時があります。

後見人評価機関(仮)

パソコンのウィルス対策ソフトを開発している会社は、お金を払って評価機関に評価を依頼し、自分たちのソフトの優秀性を比較できるようにしているそうです。

いい仕組みだな、と思いました。

仮に、後見人にも評価機関(仮)があれば、そこにお金を払って評価を依頼し、客観的で公正な判断を誰にでも【見える可】することができ、利用者の判断基準の一助になるのでは、とちょっと考えてみたりしました。

今現在は、後見人を必要としている人(需要)よりも、後見人をしている人(供給)が圧倒的に少ないため、後見人を必要としている人にとって、とても不利な社会状況にあると思われます。

語弊があるかもしれませんが、品質がよくなくても、それを使わざるを得ない、という状況なのではないか、と。

「後見人をやっている人が、評価機関(仮)に評価を依頼しない」ということは「悪い評価がつくかもしれないからやめておこう」ということを間接的に意味することになります。

よって、自分の仕事に自信がない人は、評価を依頼していないために名前がなく、名前がなければ利用者から自然と選ばれなくなって退場していく、という仕組みです。

評価機関(仮)に登録がなくても、その人に依頼したいということがあれば、それはそれで自由です。

結びに

今現在、国において進められている「成年後見制度の見直し」

そもそも後見制度の知名度自体が低いので、どれだけの関心を持たれるかは、わかりません。

いずれにしても「成年後見制度は、これからの日本社会に必要であり、発展途上の制度のため、まだまだ改善の余地がある」と言えます。

様々な方面から、様々な(建設的な)意見が飛び交うのは、歓迎されるべきことでしょう。

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